何もない。だからなんでもある。circusの“ゼロ”地点に飛び込んだ僕の話

リクルーティンググループ/マネージャー M.S
何もない。だからなんでもある。circusの“ゼロ”地点に飛び込んだ僕の話

パイロットを夢見ていた子ども時代

幼い頃の夢は「パイロット」。

母方の実家が鹿児島にあったため、3歳の頃からひとりで飛行機に乗って帰省していました。空への憧れが自然と芽生え、その夢を追って大学では飛行機の素材が学べる理系学科に進学。
しかし、就職を意識し始めた時、視力の問題やここからパイロット育成学校を受験をすることの非現実性から夢を潔く手放し、別の道を選ぶことにしました。

新卒で入社したのは大手メーカーの子会社。
配属されたのは、
工場で使う送風機やコンベアの部品などを扱う法人向けの技術営業職です。
既存顧客を回り、製品の提案やフォローをする毎日。安定はしていたけれど、刺激の少ないルーティンな日々でした。

「就職相談」が予想外の展開に

営業も板につき、そろそろ新しいチャレンジをしたい。そう思い始めた社会人5年目。
学生時代からの友人・松倉に相談したことが転機になりました。

当時、松倉はcircusを創業したばかりの矢部さんから採用の誘いを受けていましたが、「今はまだ動けない」として話を見送っていたのです。そこで、「転職を考えてるなら、お前が矢部さんの話を聞いてみたら?」と僕をつないでくれました。

なので「一度話を聞いてみるか」くらいの軽い気持ちで矢部さんに会いに行ったのですが、見せてもらったcircusAGENT構想の資料を目にした瞬間、思いもよらず胸が高鳴りました。

まだ世の中にない新しいビジネスモデル。
しかもプロダクトは存在していない。
 “ないない尽くし”なのに、ワクワクしたのです。

「こんなゼロからの挑戦に関われる機会なんて、二度とない。」

当時29歳。これから普通の転職をしても、きっとそんな大きな変化はない。ならば、ゼロから事業をつくる、この挑戦に賭けたい。

思わず口にしていました。
「ここで働かせてください。」

でも、はっきり断られました。
「いくら友人の紹介でも、未経験者を採用できない。」

まだ世の中にないビジネスモデルを立ち上げるには、とてつもないパワーが必要です。
僕は人材業界未経験者。無形商材の営業経験も、新規開拓の経験もゼロ。断られるのも当然でした。
それでも諦めきれず、何度も食い下がりました。

そこで提示されたのが、入社に向けた“試験”。
・週3回、18時~19時の営業研修を3ヵ月間受けること

それからというもの、平日はもう circusのことで頭がいっぱいになりました。

同じ「営業」でも、それまで経験してきた大手メーカーのルート営業と、ベンチャー企業の無形商材を扱う新規開拓営業は、まったくの別物です。
まずは新規営業の“型”を身体に染み込ませようと、家では自分のトークを録音し、何度も聞き返しては改善点を書き出しました。

聞いてはスクリプトを更新し、また声に出して録音。「これでいい」と思えた瞬間は一度もありませんでした。
他の社員の営業トークも録音させてもらい、自分との差を徹底的に分析。

違和感があれば即修正。納得できるまで、また書き、声に出し、また聞く──移動時間もスキマ時間も、すべて試験のために費やしました。

この鍛錬をひたすら繰り返した三ヵ月後、迎えた最終日。
 「アポ数、一位になったら採用ね」──そんな一声で始まった“よーいドン”のアポ合戦。

まるでイベントのようにみんなで盛り上がり、僕は一位を獲ることができました。

こうして、ついに circusの一員として迎え入れてもらえることになった のです。

本当の試練はここからだった

勢いよくスタートを切ったものの、達成したのは最初の1ヵ月だけ。
翌月からは未達が続きました。

さらに、コロナ禍が直撃。完全リモートとなり、学ぶ場も営業の現場も激減です。
やっと出社ができるようになった日、「今月、達成できなければ別の部署にいこうか。」と言われてしまいました。

まさに崖っぷちでした。
ギアを限界まで引き上げ、行動量も、集中力も、自分史上最大レベルに高めて臨んだ1ヵ月。
やっとの思いで目標を達成することができました。営業として殻を破った瞬間だったと思います。

矢部さんと仲間がまるで自分のことのように喜んでくれた顔を見ながら誓いました。この基準値を自分の“デフォルト”にしようと。それ以来、会社ギネスを毎月更新し続けました。

“生き延びること”だけを考えていた、あの頃

入社したばかりのcircusは、プロダクトがまだ未完成だったので、求人広告や人材紹介、コロナ禍は人材ビジネス以外のことも手がけ、なんとか開発費を稼いでいました。

それでも資金は常にギリギリ。
正直、冷や汗をかくような日々の連続でした。
でも今振り返ると、あの“必死だった日々”は、めちゃくちゃ面白かったと思えるんです。

なぜなら、誰もが本気だったから。
 “ただのベンチャー”じゃない。
 “人生を懸けた挑戦”だったから。

あの時間は、間違いなく僕の人生の誇りです。

変わったものと、変わらないもの

ただひたすらに、まっすぐに──。矢部さんが事業と向き合うその姿に、僕は自然と惹きつけられています。

「この人の想いを、実現させたい」
気づけば、そう動く自分がいて、いつしか皆が矢部さんの強い眼差しに導かれ、大きな背中に乗っているんです。

入社から7年。circusは、本当に大きく変わりました。

入社当時、3人だった社員は100人に。
そして、この世に存在していなかったプロダクトは「circusAGENT」へと育ちました。

最近、周囲からよく聞かれます。
 「昔と比べて、circusは変わりましたか?」と。

たしかに、“カタチ”は大きく変わったと思います。
でも、“本質”は何も変わっていないと思っています。

なぜなら──
出会ったときの矢部さんの強いまなざしと、まっすぐなエネルギーの塊は、今も変わらず僕らの中心にあるからです。


※所属・役職はすべて取材当時(2025年8月時点)のものです。