「やりたい」を「できる」に変える力を。
優等生からロックへの転換
都内ベッドタウンにある典型的なサラリーマン家庭に育ちました。父親は金融会社で働く厳格で教育熱心なサラリーマン。母親は専業主婦、三人兄弟の長男です。幼少期から親の期待通りに育ち、中学校では生徒会長。成績も常にトップな優等生でした。
しかし、高校に入りロックとの出会いで大きく人生が変わります。ロックの「抑圧がない世界があっていいんだ、もっと自分を解放していいんだ」というメッセージが"良い子"の自分に刺さりました。そこから一転、勉強はそこそこにロックに夢中に。
高校で結成したバンドではリーダーとしてギターボーカルを担当し、大学進学後はオリジナルソングを作成してライブやツアーなどバンド活動に没頭しました。大学卒業後もプロのミュージシャンを目指すことに決め、両親に報告しに行きました。
父は当然猛反対。
でも僕の「絶対やりきる、2年の間に結果を出すから見ていてくれ」という覚悟に折れ、2年という猶予付きで応援してくれることになりました。そうして大学卒業後はプロの道に進むことになりますが、作曲や練習以上に意外と営業活動も重要で。レコード会社回りや他アーティストへの出演交渉など、あちこち奔走しました。
そして2年が経過。固定ファンも付きライブも200人位は呼ぶことができるようになりましたが、プロになるにはその程度では難しい世界でした。期限内で納得のいく結果を出すことができず、音楽の道に見切りをつけることにしました。
夢の諦め。這い上がる日々。
音楽活動をするにも生活するにもお金は必要だったのですが、時間の融通が利く仕事にする必要があったため、仕事は選ばずなんでもやりました。飲食店への飛び込み営業、保険のテレアポ、一日100件の訪問販売などなど。バンド解散後は、社会人として大きな目標を実現するべく、起業できるだけのビジネススキルを付けたいと思い、就職活動を始めました。
ご縁があってキャリアデザインセンター(以下、CDC)に中途入社し、求人広告の営業として着任しました。サービスの中には高額のコンサルティング付プランがあり、そのコンサル運用担当をしていたのが代表の矢部でした。頭脳派で仕組みで成果を出すのが得意な矢部と、感情派で人の気持ちを汲み取り営業するのが得意な私。相性は抜群で、MVPを幾度となく受賞しました。
ほどなく矢部はCDCを退職し起業をしていましたが、起業から半年後、営業部門を任せたいから一緒に会社をやらないかと声を掛けてもらいました。
バンド時代から思っていたことがあって"「やりたい」を「できる」に変える力が欲しい"というのが僕の原動力です。
会社をゼロベースから立ち上げ様々な経験を詰めて力を付けるには、これ以上ない環境だと思い参画を決めました。
二人目社員。幾度となく経験した修羅場。
私は二人目の社員でした。スタートアップに飛び込むことは多少勇気が必要でしたが、音楽で食っていくと決めたあの日、自分が腹をくくったらなんでもできるし、ちゃんと話せば周りはわかってくれる。自分が覚悟を決めたらすべてが変わるという成功体験があったので、まったく恐怖心はありませんでした。
とはいえ、修羅場はいくつも経験しています。
最近だと、コロナ禍でプロジェクトがすべてストップし、会社のキャッシュがあと二か月で尽きるという状況になった時。資金を作るため、平日はcircusで仕事をし、土日は太陽光発電の代理店営業をすることにしました。代理店の車で田舎の山間みたいな知らない場所に連れていかれ、「今日はここだから」と降ろされるんです。
夕方車が迎えに来るまで帰れない。一日50軒以上訪問販売を行い、コンビニもないような地域なので、真夏の暑い日には公園で頭から水を浴びました。過酷でしたが、circus株式会社でコトを成し遂げると決めたのは自分ですし、そのcircus株式会社が存続の危機であれば頑張る以外の選択肢はありませんでした。
今となれば笑い話になる良い思い出です。
何度でもゼロからスタートしたい
こうゆう肉体的に過酷な経験もあれば、事業立ち上げやマネジメントでのトラブルもあります。でも私にとって仕事は趣味のようなものなので、トラブルさえ一種のコンテンツなんです。
大好きな音楽を仕事にしようと思ったように、私は大好きなことは一日中やっていたい。好きこそものの上手なれという言葉あるように、没頭に勝る上達はないと思っています。トラブルはスパイスみたいなもので成長に弾みをつける良いチャンスですね。
circusも立ち上げ当初から比べるとだいぶ整ってきました。業界最大級の"人事データ"を保有し、より多くの会社、人々に価値を提供していけるターンになりました。circus誕生時が第一創成期だとすれば、今はまさに第二創成期。既存事業の拡張と新規事業も続々誕生し、確変的に急成長するフェーズです。
落ち着くにはまだまだ早い。これからも困難は難易度や深度を変えて次々と押し寄せてくるでしょう。
でも、きっと、仲間と共に笑い話に変えながら一緒に乗り越えていくんだろうと思います。
今からその日々が楽しみです。
※所属・役職はすべて取材当時(2024年4月時点)のものです。