次の誰かの一歩をつくる。それが、私の恩返し。
“I have a pen.”──そこから、世界が動き始めた
英検1級、TOEIC975点。青春すべてを英語に捧げた私が、新卒でcircusに入った理由をお話しします。
生まれも育ちも秋田県。専業主婦の母と金融業の父のもと、英語とは無縁の家庭で育ちました。
そんな私が英語と出会ったのは、中学一年生の授業。知らない言葉を知る過程が、たまらなく面白かった。
外国人の先生のもとに毎日のように通い、洋楽や海外の文化を教えてもらう内に、どんどん世界が広がる感覚に夢中になりました。
部活はバスケットボール部。全国大会にも出場し、文武両道でがむしゃらな日々でした。
そんな中で一番好きになったのは結局英語。自分の進む道が見えた気がしました。
「もっと英語を学びたい」
英語推薦で公立高校へ進学しました。
家族の愛に導かれ、秋田からアメリカへ
高校でも英語に没頭。進路はアメリカ留学を決意しました。
昔から何ひとつ、親には反対されたことがありません。いつも「なんでもやってみなさい。」と言ってくれました。
とはいえ、さすがに海外留学は迷うだろうと思い、恐る恐る相談した私に両親が放った言葉はたった一言。
「そう…あなたが決めたなら、行きなさい。」
母は本当は不安で仕方なかったと聞きます。それでも笑顔で送り出してくれました。
母の優しさと強さ。そして、父の家族をおおらかに守ってくれる頼もしさ。
その姿は、今も私の心の拠りどころになっています。
アメリカ留学奮闘記。一日10時間勉強と深夜バイトに明け暮れる日々
留学先は、アメリカ・シアトル近郊にあるグリーンリバー大学。マウントレーニア山を望む、緑に囲まれた美しいキャンパスでした。
「ここから新しい人生が始まる」——
澄んだ空気を思い切り吸い込みながら、期待に胸を膨らませました。
しかしすぐに現実の厳しさを突きつけられることになります。
海外大学は課題が多いものとは聞いていましたが、実際は想像をはるかに超えていました。
朝、目覚めた瞬間から勉強をはじめ、学校が終わればそのまま図書館へ。
3年次はアメリカの別大学への編入を目指していたので、少しでも良い成績を取るためにも放課後も勉強し、家に帰ってもまた勉強。
ようやく一息つけるのは夜になってからです。けれど、その一息も一瞬。深夜はバイトが待っています。
留学費用を稼ぐため、深夜には時差を利用して日本人向けオンライン英会話講師として働いていました。バイトが終わると、机に突っ伏して2〜3時間だけ眠り、朝8時にはまた授業へ向かう日々。
三日で10時間も眠れないことも日常茶飯事でした。
落ちたら高卒。崖っぷちの編入試験
留学生活が二年過ぎた頃、コロナ禍が直撃しました。
大学の授業は全てオンラインに切り替わり、ロックダウンにより寮も閉鎖。住む場所を失い、アメリカでの編入という選択肢も閉ざされ、帰国せざるを得なくなってしまったのです。
急いで日本の大学を調べると、私の今の単位状況で編入できる大学は全国でわずか3校だけ。
志望したのは、東京外国語大学。募集枠10名、倍率8倍以上。9割が落ちる試験です。
落ちれば高卒に逆戻り。2年間の努力がすべて水の泡になる背水の陣の中、教授陣の専門書を読み込み必死で勉強しました。
面接では、教授の専門科目に関する質問が英語で次々と飛んできます。必死に答え続けましたが、まったく手応えがないまま面接は終了。
「絶対落ちた」。泣きながら会場を後にしました。
——数週間後の合格発表日。
メールを開くと、そこには私の受験番号がありました。その瞬間飛び上がり、家族と抱き合って喜びました。
これからは恩返し。良い仕事で、良い社会を。
今まで、いくつもの岐路がありました。
そのたびに、選んだ道を“正解”にするために、ただがむしゃらに進んできました。
しかし、そもそもチャレンジできたのは、家族、友人、先生。たくさんの人が私に選択肢を与えてくれたおかげです。これは決して当たり前のことではないと思っています。
だからこそ、その恩を——支えてくれた人たちに、社会に、そして日本に返していく使命がある。
そんな想いを胸に就職活動をしていた時に出会ったのがcircusのビジョンです。
「後悔のない意思決定をあたりまえに」
——衝撃が走りました。まさに、私がこれまで生きてきた姿そのものだと感じたからです。
より多くの人が“良い意思決定”をできる社会をつくりたい。その仕組みを生み出す会社で働きたい。
学友からは「英語を活かさないの?」と聞かれましたが、社会に恩を返すためには、英語だけでは足りないと思ったんです。そして、その力を身につけられる場所が、circusだと思いました。
得意なことをやるのは、きっと楽だったと思います。けれど、同じ場所にとどまり続けることは、少しずつ自分を濁らせてしまう。だから私は、変化と挑戦の道を選びます。
かつての私のように、迷いながらも前に進もうとする人の背中をそっと押せるように。
チャレンジしたい人が最初の一歩を踏み出せる社会をつくること。
それが、私にとっての恩返しだと思っています。
※所属・役職はすべて取材当時(2025年10月時点)のものです。