営業から逃げ、キャリアの袋小路に迷い込んだ私が選んだ再挑戦の道。

営業から逃げ、キャリアの袋小路に迷い込んだ私が選んだ再挑戦の道。

小さな雪国から人材業界を目指し上京

生まれ故郷は山形県南陽市。
冬は一面の雪に覆われ、名物といえば「鶴の恩返し」ぐらいしかない、人口3万人の小さな町です。

高校を卒業後、地域振興を学べる山形の大学へ進学しました。
時は、東日本大震災の復興支援のさなか。授業を通じて、多くの団体が東北に入り、イベントや仕掛けを通して被災地の人々を励まし、笑顔を取り戻していく姿を目の当たりにしました。
その姿を見て、「頑張りたい人を応援する仕事は、なんて尊いのだろう」 と感じたのです。

父が人材系企業で働いていたこともあり、自然と「人材業界ならその夢を叶えられる」と考えるように。
キラキラと輝く人を応援したい──そんな思いを胸に、雪に覆われた小さな町を離れ、東京に出ることにしました。

新卒での挑戦、営業職での挫折

新卒で入社したのは、歯科業界に特化した人材紹介会社。
「頑張る人を応援できる!」──そう胸を躍らせ、営業職としてキャリアをスタートしました。

ところが、入社してすぐに理想とのギャップを突きつけられました。

歯科業界の国家資格保有者は特に売り手市場。
キャリアコンサルタントとして私が担当した求職者の多くは、やりがいや成長よりも「いかに楽に、条件良く働けるか」を優先しており、当初思い描いていた「頑張りたい人を応援する仕事」という感じにはなりませんでした。

さらに、会社からは数字のために求職者の入社先や入社日を調整するよう指示が出ます。
人の人生を自分の都合でコントロールしている感覚が嫌でたまりませんでした。

こんなに辛いのは、営業職が向いていないからだ。そう判断し、退職を決意しました。
入社からわずか半年のことでした。

安息を選んだはずなのに。募る焦燥感

「営業は、自分には無理だ。」
そう思って次に選んだのは、不動産業界に特化した人材紹介会社での事務職です。

与えられた仕事は、毎朝1時間ほどで終わってしまう単調な業務。最初は「なんて楽なんだろう」と思いました。
しかし、それはすぐに退屈へと変わります。

仕事を増やそうとしても「いいよ、そんなに頑張らなくて」と優しくいなされる。
業務効率化を提案しても「まあ、そのうちね」と流される。
彩りも抑揚もなく、時計の針が止まったように感じる毎日でした。

「やりがいはない。でも営業はやりたくないから仕方ない」──そう思い込もうとしても、心の奥ではずっと警鐘が鳴っていたのです。

その警鐘の正体は、働く母の姿です。
長い子育てブランクを経て社会復帰した母には、“仕事を選ぶ余地”がほとんどありませんでした。
「やりたい仕事」ではなく「やれる仕事」しかない。
子ども心に、その姿はとても苦しそうに映り、「自分はスキルを身に着けて、何歳になっても自分でキャリアを選択できる人生にする」と強く思っていたのです。

けれど気づけば、私自身も流されるように「選べない道」へと足を踏み入れかけていました。
このままではいけない。人生、立て直そう。

「次こそは、逃げない。」そう心に決めて、一歩を踏み出すことにしました。

失敗からの再出発──しくじり先生が伝えたいこと

面接では、過去の迷いや失敗を包み隠さず話しました。
営業から逃げた。──耳障りが良くない言葉でも正直に伝え、そのうえで私はまっすぐ言ったのです。

「もう一度、挑戦したい。」

その覚悟を受け止めてくれたのが、circusでした。

入社後すぐに配属されたのは、求職者向け就職支援サービスの新規事業。
キャリア面談やSNS運用など、幅広い業務に挑戦する日々が始まりました。

驚いたのは、一社目での営業経験が思いがけず活きてきたことです。
似たような仕事なのに、不思議と苦しくない。むしろ楽しい。
会社のカルチャーや目標の置き方が違うだけで、同じ営業的な仕事がここまで変わるのかと驚きました。

この実感は、いま求職者に向き合うときの言葉につながっています。
営業が辛いから事務職へ転職したい──そう語る人に出会うと、思わず“しくじり先生”のように心の中で叫んでしまうのです。
「私のようにならないで!」

営業の対極は、決して事務だけではありません。
たとえ営業が辛いと感じても、その理由は人によってさまざま。
本当の問題は会社の方針、カルチャー、はたまた上司との相性かもしれません。

消去法で選択肢をなくしていくのではなく、 “ここだけは譲れない”ラインと、“これなら大丈夫”というポイントを見極めながら、可能性を広げる方向でキャリアを切り開いていってほしいのです。

人生100年時代。働く時間は想像以上に長いです。
だからこそ、自分の心の奥にある声に耳を澄ませ、キャリアを自分の手で作っていってほしい。

そして何度だってやり直せる。再出発のスタートラインは、いつだって“ここ”からだから。


※所属・役職はすべて取材当時(2025年8月時点)のものです。